考えすぎて苦しいとき、悩みすぎているときの対処法を考えてみた
苦しいことや悩んでいるときって他のことも考えられず苦しいよね。
でも最近ちょっと自分の中でこうしたら気分が楽になるんじゃないかなってのを思いついたから書いていく。
よく言われる気分転換とか気を紛らわそうとかの行動対処法ではない。
自分なりに考えたことだから、みんながみんながこのやり方で正しいとも言えない。
というか世の中にこのやり方が100%確実ってないんじゃないかなぁなんて思う。
なんで悩んでいるときって苦しいのだろう
そもそもなんで悩んでいるときって苦しいだろう
自分なりに考えてみた。
人間関係、お金、仕事と生きていれば悩みはある。
悩みは生きている限り尽きないものだと思う。
悩みの度合いは大きいかもしれない。
今日はどう過ごしたら良いのかという小さい悩みから、仕事や人間関係、お金に対する大きな悩みまで様々だ。
で、だいたい小さい悩みを何日もかけて悩むことってないと思う。
昨日の休日の過ごし方最悪だったなぁ。なんであんな過ごし方をしたんだろう俺は・・・
みたいに何ヶ月も悶々と悩むことってないだろう。
大体の悩み続けることって過去の後悔だったり、現在抱えている悩みだったり、将来の不安だったりすることが多いような気がする。
過去はどうしても変えることができない。
未来はまだ起こってないことだから悩んでいても無駄なように感じる。でも、悩んじゃうんだよね。
現在の悩みも自分自身でどうしようもできないこともたくさんあると思う。
悩みには対処できる悩みと、できない悩みがあると思う。
自分自身で解決できる悩みなら全力で取り掛かってもいいかもしれない。
で、なんで悩んでいる時苦しいのか考えてみたんだけど、
自分なりの考えが浮かんだのが、
現在の悩みに関してはいつまで続くか終りが見えなくて苦しむ。
実際明日解決できることが見えていたら今辛くても耐えきれると思う。
そして過去の後悔や未来の不安などの悩みは自分の解釈次第で悩みが大きくもなるし小さくもなる。
既に起きた事自体は変えることができない。
未来、過去の事を今悩んでもしょうがない。
でも、解釈自体は変えられる。
そうは言ってもアタマでは分かっている。
アタマでは分かっていても悩むからどうしていいか分からないんだよ。
なんて考えてしまう。
で、なぜ悩むかの原因?これが正しいとは声を張って言えないけど自分なりに悩むこと自体が苦しい根本的な原因はこれではないかと考えた結果がこうなった。
では、対処法をこれから書いていきたい。
悩みに対する対処法
で悩みに対する対処法を考えてみたんだけど、現在と過去と未来に対する対処法がそれぞれ違う。
それぞれの対処法を書いていきたいと思う。
現在悩んでいることに関しての対処法
今悩んでいることの対処法を書くんだけれども、根本的な解決策にはならないかもしれない。
期待はずれかもしれないけど、この対処法は自分自身を楽にしてくれる。
対処法というか考え方になってしまうけど。
その考えた対処法とは、
今現在に焦点をあてずにもっと広い目線で悩みを考えてみるということ。
これどういうことかというと、今大きな悩みがあって悩んでいることは事実。
で、先ほど言ったように今現在の悩みに対して終わりが見えないから悩んでいると思う。
解決できるのは明日?一週間後?一年後?十年後?
終わりが見えないから苦しい。
だから、それに対する考え方なんだけど
自分自身、十年後にも今ある悩みで果たして本当に悩んでいるのだろうか?
そう考えてみるのってすごくいいと思う。
実際、十年前に本当に悩んでいたことってずっと続いていることって少ないと思う。
もちろんずっと続いているって人もいると思うけど。
大体は十年前に悩んでいたことをぱっと思い出すことってできないと思う。
思い出せてもその辛さが当時リアルタイムで悩んでいた時よりも思い出すのが難しいと思う。
人間って忘れる生き物だから。
だから生きていけるんだろと感じる。
時間が解決するって先人はよく言ったもんだと本当に関心する。
話が少しそれてしまったけど、未来の自分が悩んでいるかどうか自分自身を客観視することで今悩んでいることってもしかしたら将来的にはなくなっているんじゃないかと感じることができる。
そうすると実際あがいてもどうしようもない種類の悩みの場合悩んでいること自体がばかばかしく感じたりする。
長い目人生見てみると良いときもあれば、悪いときもある。
それの繰り返しだなぁと自分自身感じていると、悪いことが起きてもショックだけどいつかは終わるかもしれないという希望が持てる。
悩みがゼロなんてほぼないと思うから。悩みとどう向き合い、うまく付き合っていくかが大切なんだろう。
仮に悩みがゼロだと、自分自身がうれしいことやラッキーだと思えることが起きた場合に喜べる度合いも小さくなるだろう。
辛い時期があるからこそ何にもない日常が喜びの対象になる。
風邪をひいているときに日常が幸せなんだと感じることってあるよね。
風邪が治り日常に戻るとありがたみを感じずらくなるなっちゃうけどね笑
話を戻して、今ある悩みに対しては長い目で見ていくと気が楽になるかもしれないってことを言いたかった。
もちろん今頑張ることで対処できる悩みなら頑張る価値はあると思う。
でも、最初に自分自身でどうにかできる悩みなのかどうかを切り分ける作業って大切。
どうしようもない悩みにあがき続けることって結構キツイと思うから。
過去の後悔に囚われて悩んでいるときの対処法
過去の過ちに囚われて今も苦しいと思うこともあるだろう。
自分自身も過去の出来事を後悔してずっと前に進めない時期もあった。
こんなときどうしたらいいのだろう。
過去にやってしまったことは変えることができない。
でも、解釈は変えることができる。
なら解釈を変えて飲み込んでいくしかないと思う。
そう言われてもと思うかもしれない。
個人的にそれ以外解決方法はないのかなと思う。
自分自身に対する恥ずかしさや自分自身を責めたり、相手に対して申し訳なく感じたりと色々な感情があるだろう。
そしてトラウマとなり今も動けない。
過去も失敗したからこれから先もずっとそうだろうと自分自身で未来も勝手に決めつけてしまう。
過去にとらわれすぎると、生きているのは今なのか、過去なのかよく分からなくなってくる。
で、過去の起きた出来事を変えることができないなら解釈を変えていくしかないんだけれどどうしたらいいのだろう?
これも個人的な考えだけど、過去に囚われて苦しんでいるときって今の自分もきっと好きじゃないって状態になっている可能性があると思う。
なぜそう思うかというと、過去の延長線上に現在の自分がいて過去をずっと責めている状態ってことは今の自分を否定していることにもなると思うんだよね。
過去の自分は悪いことをしてしまった。なんて自分はダメなんだ。過去にあんなに悪いことをしてしまった自分がいるから今ここにいる自分も変わらないんだ。ずっとこのままなんだ。
みたいな思考に陥っちゃってさらに深みにはまっていくという負のループ。
みんながみんなそうじゃないともちろん思うし、これは自分の中での考えなので共感できない人もたくさんいると思う。
自分なりに考える対処法なんだけれど、今の自分を受け入れて愛することが大切だと思う。
どんなに今ダメな自分でも可愛らしいと自分自身を認めてあげる。
ちょっと気持ち悪い言い方かもしれないけど、他人からほめてもらえないことがほとんどだと思うのに自分自身も責め続けては自分自身がとてもかわいそうだ。
世の中で一番自分と話している人って誰か?
友人、恋人、家族など浮かべるかもしれないけど、本当は自分自身が一番自分との対話相手。
24時間365日ずっと一緒にいるのって自分自身。
だから自分で自分を責め続けていると、ずっと自分で自分を攻撃していることになる。
それって辛いと思うんだよね。
今すぐに自分自身をほめてあげるなんてできないかもしれない。
それでもいい。
自分自身をなるべく責めないようにすることを意識するだけでも変わってくる。
自分自身の存在を受け入れる。
それから始まると思う。
そして、過去に後悔していることもあるかもしれないけど、それがあったからこそ学べたことも何かしらあるかもしれない。
なかったとしても、それを後悔できている時点で反省できているということ。
成長していることにつながると思う。
だから今の自分を受け入れつつ、少しでも過去の自分を許してあげる。
自分自身を少しでも認めてあげることから過去に囚われていた自分を少しずつでも開放できるかもしれない。
大丈夫。過去は変えられると信じて進んでいける自分自身でいられるようになったら理想。
すぐには変われないかもしれないけど、変わりたいと思った瞬間から目に見えないスピードで変化している。
いつか変われればラッキーかなくらいで気持ちに余裕を持てたらいいね。
将来の不安に囚われて悩んでいるときの対処法
将来に対しての不安も人間ある。
将来に対しての不安はどうしたらいいのだろう。
不安って実は大切な感情だと思う。
不安がないと人間無計画に行動してしまい、無計画に行動しすぎることで取り返しのつかない過ちを犯してしまう可能性がある。
なので不安は自己防衛のために必要な感情だと思う。
だけど、不安が大きすぎても人間動くことができなくなる。
だからバランスが必要なのかもしれない。
特に今の時代不安になりやすい時代だと感じる。
インターネットが普及して色々と情報が手に入りやすくなっている。
情報が手に入りやすくなったのはいいけど、人と比較しやすくもなったと思える。
人と比較してしまうと、自分がとてもみじめに感じたり、うらやましく感じたりと本当は初めから知らなければ考えずに済んだことも考えてしまうようになる。
知らなければ生まれなかった感情があったのだろう。
よくお金の面で平均貯金額やら平均年収やらそういったニュースや記事などをよく見るんだけれど、そういった類のものが典型的なものなんだろうと思う。
お金に限らず、充実した生活を送っているかどうかなどのSNSの情報、友人が多いか少ないかなど。
人と比べることが不幸の始まりなんじゃないかと自分自身考えることがある。
もちろん自分自身、全く比較しないかと言われれば嘘となる。
やっぱり他人をうらやましくなることもあるし、嫉妬という感情に苛まれそうになることもある。
でも、人と比較してもキリがないと思っているので自分自身こう考えたりする。
「人と比較してもキリがない。上には上がいる。自分自身人と比べずとも今おいしいものを食べて幸せを感じるほうが本当の幸せではないのか?案外幸せってすぐそこにあるもので感じられるのではないか?自分が幸せと思えるものがあればそれでいい。」
そう自分自身に問いかけると心が落ち着いてくる。
話が脱線したけど、人と比べて今の自分がこうじゃないから将来が不安だとか考えてしまうかもしれない(特にお金の問題で老後2000万問題など)
老後2000万円ないと足りないとニュースで見て不安かもしれないが、本当に2000万円必要か疑問を持つことも大切だと思う。
実際の生活費って人によってそれぞれ。他人の生活モデルがすべてではない。
なので、自分自身の生活スタイル。それを基準に必要な老後のお金については考え直してもいいのかもしれない。
自分の生活スタイルを基準にするのと他人の生活スタイルを基準にするのではだいぶ額も変わってくるだろうし、自分の目標や軸が決めやすいと思う。
自分の老後に必要なお金を算出しても全然足りないと思うこともあるだろう。
でも、将来は不確実だし必ず順調にいくかもわからない。
世間でこれだけないと不安とか、こうしなければああしなければの世界に少し疑問を持ってみるのもいいのかもしれない。
本当の自分の幸せって案外身近にあるかもしれない。
将来全く備えないというのは問題かもしれないけど、自分にできることはやって、考えても考えてもどうしようもないジャンルは考えすぎないほうが得策かもしれない。
うーん。何が言いたいのかっていうと人と比べすぎると苦しいよってことかな。
なので、今を楽しみつつ将来に不安を感じすぎずのバランスがいいのかもしれない。
口で言うのは簡単だけど、実際難しい。
あまりうまく表現できていないけど、常識を疑うっていうのもいいのかもしれない。
本当の幸せとは何だと考えるとなかなかキリがないんだけれど、自分なりの幸せの基準がそれぞれにはあると思う。
ちょっと無責任な言い方に聞こえてしまうけど、すいませんうまくまとめることができないです笑
まとめ
結構長々と書いてしまったんだけど、考え方で考えすぎや不安なことって考え方を変えることですごく楽になることもあると思う。(実際解決に至るかは別として)
というか考え方ってだいぶ大きいと思う。
誰が見ても劣悪な環境にいる人たちでも、精神を病む人もいれば全く平気な人もいる。
その違いは何かって結構考え方の違いが大きいかなと個人的には思う。
こんなに偉そうに言っているけど、自分自身普段の生活でもちろん悩むことがあるし、今まで書いたことを確実に守れているかというとできていないことも多いと思う。
でも、焦らなくてもいいと思う。
悩むこともまた人生だと思うし。
だから今を少しでも楽しむ工夫をしながら、人生楽しんでいけたらと思う。
もちろん楽しいことばかりではないけど、楽しい考え方にシフトしていけたらなぁなんて考える。
うまくまとめられている感がないけど、これは自分自身に対するメッセージでもある。
長々と書いてしまったけど、ここまで読んでくれている人がいたらすごく嬉しいです。
ありがとうございます。
では、今日はこの辺で。
お題「#おうち時間」