自分にないものに憧れるのは良いけど、目指すことはとても苦しいことだと思う。
私自身の話なんだけれど、自分にないものに憧れてしまう。
自分にないものに憧れるってのは悪いことではないのかもしれないけど、決してそこに辿り着くことのできない境地を目指して自分とのギャップに苦しむのはとてもツライ。
私自身、人を笑わせるようなブログとかおちゃらけたブログを書きたいなぁなんて思うこともあるけど、結局はクソ真面目なブログを書いてしまう。
文章で人を笑わせたりできる人をすごく羨ましいなぁと感じたりする。
多分人を文章で笑わせるってことは自分にはできないと思うんだけど、それに憧れるってのはアリだと思う。
人を笑わせるってのも才能なんだろうから。
で、その才能で楽しませてもらったり、新しいことを学ぶことができることってすごくありがたいし刺激になる。
憧れるのは良いけど、人を笑わせることができるようになるために努力して自分に合わないことを頑張り、それを目指すのは苦しいことだと思う。
人には向き不向きがあり、向いているものを伸ばしたほうが幸せなんだろう。
例え不向きなことがちょっと得意になったとしても果たしてそれを続けていくって本当に幸せなのだろうか?
不向きだったことが得意になる人もいるって聞いたことがあるんだけれど、本当はもともと素質があったのかもしれない。
で、不向きなものが得意になってそれを続けていくことが幸せって人はそれはそれでいいと思う。
もちろん努力をすることが悪いことだとも思わないし、新しいことをとりあえずやってみる精神は大事だ。
でも、自分に合わないこと頑張って継続して楽しくないと思いながら続けても果たしてそれって本当に幸せなのだろうか?
見切りをつけるってことも大切なのかもしれない。
また、逆に言えば自分自身のようにクソ真面目な文章を書くことに憧れを抱く人もいるのかもしれない。
決して私自身アタマも良くないし、文章が上手いわけでもない。
ただ自分が思っていることをこのブログでダラダラと書いているだけ。
究極言えば自分自身のために書いているようなもの。
備忘録として。
性格だってそう。社交的で人づきあいが得意で誰とでも仲良くなれる性格に昔から憧れている部分もある。
でも、どうしてもなれなかった。
でも、この年になってやっとわかってきたんだけど、社交的じゃなくても普通に生きていくことができるし、孤独の時間もすごく大切なことが分かった。
そして何よりも自分じゃない性格に憧れて、無理してなれたとしてもそれを演じながら生きていくのはすごく大変で不幸な事なんじゃないかと思う。
なので、今の自分自身の性格についてきてくれる人、一緒に過ごして心地がいい人と仲良くなるほうがすごく幸せだ。
ありのままの自分を好きでいてくれる人と一緒にいたい。
もちろん最低限の礼儀もわきまえるが。
これは悲観的なことではなくてありのままを受け入れてくれる人と一緒に過ごすことって本当にラクだし、等身大の自分でいられるのですごく幸せなことだと思うんだよね。
自分自身が実はコンプレックスに思っていることって、実は自分の良いところだったりする。
だから自分自身の長所を生かして、楽しく人生を生きていけたらと思う。
ではでは。