なかじ雑記ブログ♪

日頃思ったことを好きなように書いていきます。

不可能を受け入れることの重要性

おはようございます。

 

不可能を受け入れることの重要性について綴っていきます。

 

偏見に満ちあふれているかもしれませんが、優しく見守っていてください笑

 

ITが進歩して日々色々な情報の波に飲まれそうになる時代です

 

SNSも発達してキラキラした部分などを見ることによって他人のことを羨ましく感じやすくなっていることも事実です

 

ITが進歩したこで世の中の色々なことが便利になり、恩恵を受けているのも事実ですが、メリットが増えたぶんデメリットが増えたことも多い気がします

 

もちろん僕自身、ネット上でブログを書いているのでITの恩恵を受けている一人になり、ネットがない生活なんて考えることもできません。技術の進歩には本当に感謝です

 

しかし、先程書いたようにSNSで他人と比較したり、知らなくてもいいようなニュースが次々と流れ込んだりと本来悩まなくて済むようなことで悩んだりということもあります

 

ITを例に上げましたが、ITに限らず技術進歩により今まで時間がかかっていたようなことが一瞬で済ませられるようになったものも多いです

 

昔なら遠方にメッセージを送る手段として手紙しかありませんでしたが、今はメールやSNS、電話で一瞬で済ますことが可能になりました

 

色々な技術が進歩することにより家事、仕事、お金のやり取り、人間関係で今まで時間がかかっていたものがより時短で済ませられることも増えています

 

しかし、現代は昔と比べて労力をかけず、時短で物事をこなすことができるようになってきたはずなのに時間に余裕ができた感覚がなぜかありません

 

むしろ、時間がなくなった感じがします

 

すごく矛盾を感じます

 

時間をかけず、便利になり生産性が上がり時間を作ることができるようになっているはずなのに、なぜか時間に余裕ができない

 

何かがおかしいと感じます

 

時間に余裕ができない理由として、空いた時間をまた埋めてまったり、空いた時間に割り込まれたりすることが原因かもしれません

 

表面的には空いた時間を埋めたり、埋められたりということですが、時間に余裕が無いのはもっと根本的なところにある気がします

 

その根本的な原因とは、もしかしたら物事の不可能を受け入れることができないことにあるかもしれないなと考えています

 

どういうことかというと、空いた時間をさらに埋めることができるはずだと考えて何もしない時間を悪いことだと考えてしまうことから始まるのかもしれません

 

空いた時間を未来の為に生産的に使わなかればいけない、暇な時間は悪だという考えを取り除かないことには時間に余裕が生まれないのかもしれません

 

結局空いた時間を埋めてしまうわけです

 

もっと生産性があることに使えるはずだ。よりよい未来を実現するためにもっと今という時間を生産性を上げて有効活用することによって理想の未来が来るはずだと。

 

以前とは異なり芸能人だけではなく、今はSNSなどで一般人のキラキラした部分を見ることが簡単にできるようになりました

 

一般人のキラキラした部分を見ることができるようになった今、自分でもその理想を実現することができるようになるはずだ、手の届く範囲にあると考えやすくなりました

 

もちろん、理想像に近づくために努力することを否定するつもりもありません

 

しかし、生産性を上げることによって何でもできるような錯覚に陥りやすいのも事実なんだろうなぁと感じます

 

生産的に物事を進めることによって時間を作ることができてあらゆる物事を効率的にこなすことができる。そしてさらに生産性を上げてさらに理想の未来に近づいていけると

 

当たり前ですが限りある人生すべてを選択することもできません。そして明日生きている保証なんてどこにもありません

 

人間の人生の時間は限られていて案外短いものです

 

時間をすべて生産性があることに使い、いつか理想の自分になると幸せになれるはずと頑張るのですが、そのいつかはこないのかもしれません

 

どんな人にも悩みがあります

 

もし、理想の自分像になれたとしてもその時100%幸せかどうかというとそんなことはないと思います。また新たな悩みがあるのでしょう

 

100%理想な状態というのは不可能です

 

理想な状態を目指すことを否定しているのではなく、100%理想な姿なんてないと受け入れることがすごく重要だと言いたいのです

 

完璧な理想なんてないと受け入れることで、今空いた時間を生産的に使わなければ幸せになれないという考えの呪縛から解き放たれるでしょう

 

生産性の呪縛から解き放たれない限り、ずっとやってくることのない完璧で幸せな理想の未来を追い求め続けることになるでしょう

 

それって本当に今を生きているのか疑問です

 

もちろん僕の考えを正しいだなんて主張するつもりなんかありません

 

ただ、不可能を受け入れることで今の生き方を考えるきっかけになるのではないかと言うことを伝えたいのです

 

僕自身、生産性を追い求めて時間を使っている時期があったのですが、なんだか生きている心地がしませんでした

 

今を生きているのではなく、過去を悔み、未来を夢見たり心配したりと

 

結局、今の連続が過去になり、未来へと繋がっていきます

 

もちろん100%今を生きるということも不可能なのかもしれません

 

しかし、物事には不可能があると受け入れることで今できることが見えてくるのも事実です

 

世の中が便利になり、人生という限りある時間の中できることが昔と比べて増えました。

 

ただその一方、弊害として不可能を認めたくないが故にさらに時間を作り出すために生産性の呪縛にもとらわれやすくなりました。

 

生産性を上げて未来の為にさらに時間を捻出し、時間を支配して自分には限界がないのではと全能感が生まれるきっかけになっているのかもしれません

 

当たり前ですが、限りある人生でできることなんてほんの一部に過ぎません。生産性を上げて時間をいくら作り出してもできることには限りがあります

 

時間ができてもやることリストが増える一方で永遠に終わることがありません

 

永遠に何かに追われている感覚とさよならするためには、何ごとにも限界があることを受け入れることが大切なのです

 

努力するなとか、理想を追い求めるなとか言いたいわけではありません

 

不可能を認めることによって今という貴重な時間ときちんと向き合い、今本当にやるべきことを取捨選択するきっかけになるのではないかと言いたいのです

 

人生を大切に生きるためには不可能を受け入れることから始まるのではないのでしょうか

 

人生全て思い通りになるという考えから、思い通りにいかないことが当たり前という前提でいるほうが気楽に生きられるような気がします

 

うまくまとめられていませんが、不可能を受け入れることで本当に今やるべきことが見えてくるんじゃないかなと思います

 

今回はこの辺にします

 

ここまで読んでくれてありがとうございます

 

では、またねー